昨日仕事で尼崎市内をクルマで走っていたら建設中の尼崎城が見えたので、ちょっとだけ写真を撮ってきました。
西淀川区からすぐ近くの場所にこんな立派な城が復元されるとは驚きです。
Wikipediaから引用します。
天守
本丸の東北隅に位置し、西側と南側に付櫓を持つ複合式層塔型4重4階の天守で「分間城図付絵図」では「四重組大櫓」とも併記されている。外観は白漆喰総塗籠で2重目から4重目に唐破風や切妻破風が付けられていた。規模は、東西(桁行)10間5尺4寸(約21メートル)、南北(梁間)8間3尺(約17メートル)、天守台上から棟までの高さは55尺3寸(約16.8メートル)あった。Wikipedia『尼崎城』天守 から引用
天守復元計画
旧ミドリ電化(現エディオン)創業者の安保詮が「創業の地に恩返ししたい」と、約10億円の私財を出して、天守を再建し尼崎市に寄贈するため市有地の利用などについて市と協定を結んだ。ただし天守再建場所は本来の場所ではなく北西の位置になる。鉄筋コンクリート造で地上5階、床面積は1409平方メートルになる予定。尼崎市は、「一口城主」や記名される「一枚瓦」による寄付とサポーターの募集、イベントなど行っている。
2016年(平成28年)12月20日:工事着工。
2018年(平成30年)10月:完了予定。
2019年(平成31年)3月29日に内部の一般公開の予定。Wikipedia『尼崎城』天守復元計画 から引用
兵庫県と大阪府との県境を流れる左門殿川の名称の由来は、この尼崎城の初代城主である戸田氏鉄の別名戸田左門であるとか。
西淀川区民にとってもとても身近に感じられる尼崎市の新しいランドマークに注目が集まりそうです。
左門殿川関連の記事がありますのでリンクを張っておきます。