十三近辺にかつてあった(今はない)喫茶店
以前「出来島にかつてあった喫茶店」というものすごくマイナーな地元ネタを書きました。今日は西淀川区ではなく、淀川区の十三(じゅうそう)近辺にかつてあった喫茶店のことを書こうと思います。
看板とは全然関係のない話で恐縮です。
だいたい1980年~1982年頃、阪急十三駅近くにあった喫茶店についてです。今もあるお店ではなく、行こうと思ってももうないので行くことの出来ない喫茶店。
思いつくままに書きます。
目次
阪急十三駅西口
阪急電車十三駅西口から行く方が東口からよりも便利だった喫茶店です。
- 東は阪急電車の線路
- 西は十三バイパス
- 南は淀川北岸線(淀川通)
- 北は加島天下茶屋線(十三筋)
おおむね上記に囲まれる場所にあった喫茶店について書いていきます。
アロー
栄町商店街のがんこ本店の並びで、今の大統領の前あたりにありました。ボックス席が10席くらいあったように記憶しています。
一階だけのワンフロアで、中から歓楽街のメインストリートである栄町商店街がよく見えました。
喫茶店として印象に残っていることはあまりないのですが、1982年頃に起こった偽五千円札事件で被害に遭われたと当時新聞で知りました。
コスタリカ(現在「旬彩cocotte」)
栄町商店街で「本家永楽堂」の左隣。現在「旬彩cocotte」のある場所です。
コーヒの専門店だったと思います。確かにおいしいコーヒでした。
お店もとてもきれいだった印象です。
昔もらったマッチの写真があるのでアップロードします。
「アロー」と同じで、一階だけのワンフロア。同様に中から歓楽街のメインストリートである栄町商店街がよく見えました。
比較的最近では2002年に一度行きました。
(書いてから気づきましたが、お店の名前が変わっただけのようです。でもマッチの写真があり、せっかくなのでこのまま掲載しておきます。『ココット』はあるので行けますよ)
先日所用で十三に行った際、お店のシャッターが閉まっており、3月末で移転する旨の張り紙があるのに気づきました。三国本町へ移転されたようです(2021年4月16日追記)。
2002年に行った際、コーヒの写真を撮っておりましたのでアップロードします(2021年5月8日追記)。
ドン
「コスタリカ」の左側に、路地を挟んでありました。
1階と半地下、中2階があって、テーブルのいくつかはテレビゲーム台になっていました。
個人的には中2階の席が気に入っており、利用するのはたいてい中2階でしたが、いっぱいで席がない時等は半地下に行きました。
昼間はわりとお客さんが少なくて中2階までで営業していましたが、午後から夕方にかけて忙しくなってきて、夜になると3階フロアも使っていることがありました。
一度だけ少し遅い時間に大人数で押しかけたことがあり、その時に初めて3階に上がり席に座ったのでした。
一応音楽喫茶です。ジュークボックスがあったのかどうかは記憶にありません。有線放送が流れているだけだったような気もします。
朝は9時からの営業でした。
十三は映画『ブラックレイン』のロケ地でもありますが、この「ドン」のあった場所の真ん前で撮影されたシーンもありました。
はっきり閉店の時期を憶えているわけではないのですが、「ドン」は1986年頃までは営業していたはずです。
1982年10月2日公開の日本映画『野獣刑事』(やじゅうでか)に「ドン」の袖看板が映っていました。
道(栄町商店街)に座り込んでカップ酒をあおっているのは泉谷しげるさんです。
分かりづらいので切り取ります。
ピントが合っていないものの、「DON」の文字が読めます。
この袖看板はご覧のとおり蛍光灯が中に入った電飾看板で、「D」の上には「音楽喫茶」の文字が入っているのだと思われます。
ロケ地を含めて映画『野獣刑事』について非常によく調べていらっしゃるサイト(↓)。
デウカリオン
十三本町1丁目11番。
アーケードになっている十三フレンドリーストリートの「ニチイ十三店」(懐かしい!)のある角を十三筋の方へ曲がり少し歩いたところにありました。
建物は2階建て以上で、ゆっくり出来るのは2階部分だけだったように思います。
1階も営業していたのかも知れませんが、利用するのは私の場合2階だけでした。
階段は店内にあったような気がするのでやはり1階はあったのかも。
店主は当時まだ20代の男性でとても感じのよい方でした。
その店主がバイク好きだったせいか同好の士が集まることもあったようです。
ケーキを注文した等の話を後年お店のファンだった女子から聞いたことがあります。
「デウカリオン」は十三の喫茶店では特に女子に人気が高かったようです。
逆に男性客は非常に少なかった。
当時の住宅地図を見ると「珈琲館 デウカリオン」で記載されていました。
蘭豆
「ニチイ十三店」は建物が3か所くらいに分かれていて、その一つが現在「東横INN大阪阪急十三駅西口」の建っている場所にあり、また通りを挟んだ場所にも一か所ありました。
それら「ニチイ十三店」に挟まれるような形で「蘭豆」はありました。
コーヒ専門店だったような気がしますが、あまり行かなかったせいか店内の様子はほとんど記憶がありません。
「蘭豆」は「食べログ」に紹介されているページが残っています。
【閉店】珈琲蘭豆 – 十三/コーヒー専門店 [食べログ]
マダム
「プラザパオ」(十三本町1丁目7-4)の1階にありました。
朝は6時台から営業していたので、そこで働いていた知人はものすごく早く就寝していたようです。
店内はとても明るいイメージで、きれいなお店でした。
マッチの写真が残っていたのでアップロードします。
なにわ
十三駅西口を出てすぐにありました。2017年5月19日に閉店されたとのことです。
写真入りの記事がものすごくたくさん出てきます。
これほど惜しまれながら閉店するというのは、経営されていた方にはきっと嬉しいことだったでしょう。
駅から近いので急ぎの打ち合わせにはとても便利でたまに利用しました。
店内は落ち着いた雰囲気で居心地がよかったです。
モナーク
大阪市淀川区新北野1丁目14番。新北野末広ハイツ1階。
十三駅からは少々離れます。北野高校前交差点の南東角にありました。
店内からは淀川北岸線(現・淀川通)がよく見えました。
今でも十三にかつてあった喫茶店のことを知人と話すと、ウェイトレスがどうだったとかでこのお店が話題に上ることが多いです。
とても上品なイメージで印象がものすごく良いのですが、実際に利用したのは2、3回程度です。もっと行っておけばよかった。
横文字の綴りは、”MONARCH”でした。
ギャルソン
ナポレオンプラザ4階。
夜はパブ・レストランで営業している「ギャルソン」が昼間は喫茶をしていました。喫茶用の置看板を下の入口付近に置いていました。
あまり一般の人は来ない店で、客のほとんどがナポレオンプラザ(富岡商事)の関係者。
昼間、ナポレオンプラザのシースルーエレベーターで4階まで上がってコーヒだけを飲む。部外者にはちょっと勇気が必要でした。
アメリカン
十三本町1-14-23。
ナポレオンプラザのシースルーエレベーター(栄町本通りではない方の通りに面していた)の前に通りをはさんでありました。
カタカナだけでなく、AMERIKANというローマ字表記もしていました。
2階建ての外観がちょっとしゃれていて可愛らしかったです。
ブルーマウンテン
十三本町1-7-18。ナポレオンプラザの向かって左隣りにありました(∴「アメリカン」の筋向かい)。
カウンターだけの小さなお店だったと思います。
私は、待ち合わせや時間調整でたまに利用していました。
ガンダム
十三本町1-14-7 宝マンション1階。
1982年頃にオープンしました。深夜まで営業していました。
喫茶店になる前は「大連」という中華料理店で、オーナーはそのままでした。
TOMMY’S
ビクトリヤビル2階。
広い喫茶店で、夜は遅くまで営業していたので便利でした。
(当時の住宅地図で確認してみると、『トミーズ』という表記になっていました。また、喫茶店ではなく『ファミリーレストラン』という分類。現在とは少し違った意味だったのかも知れないので、ここでは『喫茶店』という扱いにしておきます)
プリンス
栄町商店街サンポードの前。「アロー」の並びで2軒駅寄り。
全く記憶が欠落しているのですが、「プリンス」に行っていた事実を当時の記録で確認しました(むっちゃ大げさですが)。
この「プリンス」は、先に「ドン」のところで書いた映画『ブラックレイン』に電飾の置看板が映っていました。最初から37分くらいのところです。看板そのものの記憶もほぼないのですが、その「プリンス」と書かれた書体には確かに見覚えがあります。ナツカシ~。
(映画『ブラックレイン』から
「プリンス」置看板)
うっどべーす
十三本町1-19-12。フレンドリーストリート内、テイコク薬局の筋向い。
1階も当然あったのだと思うのですけれども、2階だけにしか座らなかったので記憶があいまいです。
名前のとおり、木をふんだんに使った造りでした。
玉一
十三本町1-13-14。フレンドリーストリート。
チェーン店を展開していた「玉一」の十三のお店なのだと思います。入ったことはないのですが、「玉一総本店」の写真を見ると、丸ゴシックのロゴは確かに見覚えがあります。
そして非常にあいまいな記憶ですが、甘いものが並んだサンプルケースが店先にあったような。。
フジヤ
十三本町1-4-4。
十三駅西口にかつて存在した喫茶店について書くのなら、この「フジヤ」に一切触れないのはやはり変なのではないでしょうか。
十三交差点から十三本一商店街(現十三トミータウン商店街)に入ってすぐ左側、現在セブンイレブン十三駅西口店があるあたりにありました。
お店の中には一度も入ったことがなく、外観も全く思い出せません。場所と名前のみが記憶にある喫茶店です。
立地もよく、おそらく皆に愛された喫茶店で、「フジヤ」ファンの方は今もたくさんいらっしゃることでしょう。
場所と名前以外は具体的に何も書けずにおり申し訳ありません。
阪急十三駅東口
十三駅東口にあった喫茶店にもあちこち行きました。
西口ほどたくさんはありませんでしたが。
白ばら
十三駅前通商店街。
栄町商店街の「ドン」と似た造りでした。
1階と半地下、中2階があって、中2階の奥に3階(当時お店の人がそう呼んでいました。実際には2階でしょう)の席が4つありました。「3階」は調理場というかキッチンの真上に位置していたはず。
店内はわりと明るい雰囲気でした。残念ながらよく行っていたときのコーヒはあまり私と合わず、別のものを注文することが多かったです。
かなり前になりますが、2003年に行った際に店内の様子を撮っていました。
モンブラン
十三駅前通商店街。「白ばら」の並びで2軒駅寄りにありました(『白ばら』と『モンブラン』の間にあったのは、『青木』という洋服屋さん)。
店内は暗いイメージ。半地下があったような気がします。
1983年頃改装して明るい感じの店に変わり、2階だけの営業になったような記憶があります。
トレビ
十三駅前通商店街。大阪市淀川区十三東2-7-11 大華ビル1階。
現在「一軒め酒場 十三店」になっている場所です。
少しだけ高級な感じがして、なんとなく梅田の喫茶店のようだなと思っていました。
私は1、2回しか行かなかったように思います。
当時の住宅地図には「音楽喫茶 トレビ」として記載されていました。
コナ
十三東駅前商店街。
入口は自動ドアで、「いらっしゃいませ」という音声合成が迎えてくれていました。1階と2階がありましたが「ドン」や「白ばら」のように吹き抜けになっていません。
窓に面した席からは目の前にある「平和書籍部」という書店がよく見えました。
生まれて初めて「ピラフ」を食べたのがこの「コナ」の2階でした。
当時、西口にある新十三ビルディング(十三本町1-7-34)地階に「軽食喫茶 コナ」という店があったので、もしかするとここと姉妹店のようなものだったのかも知れません。
純喫茶「コナ」。現在はパチンコ屋さんになっています。
モカ
十三東駅前商店街。
「コナ」の筋向いにありました。あまり大きくないお店だったような気がします。
古い写真を整理していたら「モカ」の写真が出てきました。2002年5月撮影です。
この新しそうな店舗は憶えておらず、また2階に客席があったのも記憶にありません。
写真で見ると1階はカウンター席だけだったみたいです。
「SINCE 1933」とあるので、老舗喫茶ではありませんか。
今あったら是非行ってみたい喫茶店。
左隣は「平和書籍部」みたいですね。
清友
淀川北岸線(現・淀川通)北側、市バスの「十三東口バス停」のすぐ横。淀川北岸線とアーケードの十三駅前通商店街と両方に出入口があるちょっと変わった造りでした。
あまり若者向けの喫茶店ではなかったような。1、2回しか行きませんでした。
山茶花
同じく淀川北岸線北側。「清友」の2、3軒阪急電車寄り。
カウンターだけのお店だったような気がしますが、かなり記憶があいまいです。
利用したのは多分1回だけだったのだと思います。
「山茶花」は「さざんか」のはずです。もう確認のしようがありませんけれども。
ルナ
駅の横の西口と東口を結ぶ地下道の脇にありました。「高尾そば」の隣です。多分入ったことはなかったと思いますが、前をよく通るのでお店の名前だけは覚えています。
1974年発行の住宅地図によると、当時は「ルナ」ではなく「サンロード」という名の喫茶店でした。
「ルナ」は阪急吹田駅前にもありました。映画『ヒポクラテスたち』(1980年公開)の一場面に映っています(映画『ヒポクラテスたち』大阪ロケ)。
まとめ
以上、思いつくままに阪急十三駅近くにあった喫茶店のことを書きました。
一覧にするとこうなります。
阪急十三駅西口 |
|
アロー | 十三本町1-9-5 |
コスタリカ | 十三本町1-7-29(現在「旬彩cocotte」) |
ドン | 十三本町1-7-29 |
デウカリオン | 十三本町1-11-6 |
蘭豆 | 十三本町1-20-20 |
マダム | 十三本町1-7-4 プラザパオ1階 |
なにわ | 十三本町1-1-15 |
モナーク | 新北野1-14 新北野末広ハイツ1階 |
ギャルソン | 十三本町1-7-14 ナポレオンプラザ4階 |
アメリカン | 十三本町1-14-23 |
ブルーマウンテン | 十三本町1-7-18 |
ガンダム | 十三本町1-14-7 宝マンション1階 |
TOMMY’S | 十三本町1-5-11 ビクトリヤビル2階 |
プリンス | 十三本町1-9-3 |
うっどべーす | 十三本町1-19-12 |
玉一 | 十三本町1-13-14 |
フジヤ | 十三本町1-4-4 |
阪急十三駅東口 |
|
白ばら | 十三東2-8-13 |
モンブラン | 十三東2-8-12 |
トレビ | 十三東2-7-11 大華ビル1階 |
コナ | 十三東2-12-44 |
モカ | 十三東2-9-10 |
清友 | 十三東2-7-16 |
山茶花 | 十三東2-7-8 |
ルナ | 十三東2-8-10 |
当然、ここに書かなかった喫茶店も十三にはたくさんあり、名前だけでも書いておこうかなとも思いました。
結果的に、営業している当時一度でもお店に入ってコーヒ等を飲んだか、あるいは前を通っていてちょっとでも気になるなと感じたとか、何か少しでも縁があるお店だけを記しました。
そして、記憶にはあるものの場所を特定することが出来ない喫茶店が一軒あります。
それは「アプローチ」というお店で、カウンター席が主の比較的小さなお店で(テーブル席もあったかも)、「ガンダム」のあったあたりに確かにあったと思うのですが、今回1974年と1983年の詳細な地図を細かくチェックしてみても見つからなかったので、私の勘違いなのか(そういう店はもともとなかった)、またはその9年の間に出店→閉店となったのか、いずれかなのでしょう。
「アプローチ」を知っている方がいらっしゃったら、ぜひお知らせください。
コメント
蘭豆さんは9年程前に行きました。
一度きりで最初で最後でした。
商店街の路地で、今は新しいカフェに
なっている並びにあったと思います。
狭いコーヒー専門店のような感じ。
店内にあった、豆の原産地の黒人の方
や地図などをモチーフにした大きな
看板がインパクトありでした。
月 様
コメントありがとうございます。
蘭豆は、知っている人が一時期アルバイトをしていたということもあり、数回行った覚えがあります。
コーヒー専門店で、明るい雰囲気でしたね。
こうして既にない喫茶店のことを思い出す人がいらっしゃるのを知ると、書いたことはムダではなかったのかなと感じます。
かつて、学生時代の30年余り前十三フレンドリー商店街にあった、紅茶専門店の名前を思い出したいのです。かつてのマクドの店舗を商店街の入り口とするなら、左の奥の方で、お洋服のTOMOEYAの並びにあり、小さな入り口を入り、二階に上がるお店でした。
マダムが紅茶を白いポットに用意してくれ、キルトで作られた保温カバーがかけてあり、飲み頃を教えてくれる砂時計もテーブルにおいてくれました。ボリュームのある、耳の付いた薄切り食パンを使った、ホットサンドイッチもとても美味しかったのです。
どうしても名前が思い出せないのですが、このHPを拝見してて、「うっどべーす」という名前に何か引っかかりを感じています。店内は木調家具で、カントリー風だった気がするのです。
私の記憶が捜している紅茶専門店はうっどべーすでしょうか?ご存知でしたら、ぜひ教えて頂きたいのです。
ぱんだささやま 様
コメントありがとうございます。
この投稿用に用意した当時の住宅地図(のコピー)が手元にありまして、それを見ますと「洋品 トモエヤ」さんの西隣り(商店街の入口からみると奥の方)が「喫茶 うっどべーす」でした。
ただしそれは昭和57年の地図で、同53年の地図では「うっどべーす」ではなく洋服屋さんでした。
店内は壁やテーブル、イスが木製でとても落ち着いた雰囲気だったことを記憶しております。
「カントリー風」。そうです、カントリー風と表現するのがぴったりなお店でしたね。
ちなみに「洋品 トモエヤ」さんの少し手前の同じく左側に「喫茶 ボン」というお店がありました。こちらは店内が「うっどべーす」とは対照的な感じ(キラキラ?)だったので、対象(?)からは除外されるでしょう。
残念ながら女性店主さんのことや紅茶にまつわるサービス等も憶えていないのですが、ぱんだささやまさんがお探しになっているお店は「うっどべーす」で間違いないと思われます。
記事を見て思わず「懐かしい❗️」
ブルーマウンテン(通称ブルマン)で店を任されてました(笑)40年位前です。向かいのアメリカンとオーナーは一緒ですね。当時は朝一番の客は十三ホールのパチプロさんで夕方はホステスさんと客の待ち合わせやったんを思い出しました。
ケンちゃん 様
向かいの「アメリカン」とオーナーさんが同じだったことは知りませんでした。
実際に働いていらっしゃった方からのコメントは大変貴重です。
一昨日、高校の同期会が十三で開かれて4次会くらいでサカエマチ商店街をウロウロしていました。
当時と比較して、若い人の割合が増えていて、昔から同じ場所で営業されているお店も数少なくなりましたが、街の雰囲気は40年前とあまり変わらない感じでした。
ケンちゃんさんとはお会いしたことはないはずですが、とても懐かしい声を聞いた気がします。
コメントありがとうございました。