「若き天才作曲家 三河を席捲」の新聞記事(朝ドラ『エール』)

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朝ドラの小道具として使われた新聞の記事を文字起こししたものです。

『エール』第25回から。
著名な作曲家・小山田耕三(演:志村けんさん)が読んでいる新聞記事がかなり大きく映っていました。
朝ドラ『エール』第25回から
朝ドラ『エール』第25回から

新聞の画像を切り取り、出来る範囲で補正しました。画像の切れている部分は、もともとの映像にないところ。新聞は「東京日XX新聞」ですね。
朝ドラ『エール』第25回から

読んでみるとなかなか感動的な文章で、「これは自分だけで楽しんでおくには実にもったいない。ドラマを観ている方に広く知って欲しい」と感じましたので文字起こししてみました。
歴史的仮名遣いはドラマのままで、漢字で旧字体が使われているところは、現在一般に使用されている字で代用しております。
見えない部分は ○ にして、「こうじゃないかな」「たぶんこう書いてあるのだろう」と私が補った部分を《 》内に記しました。
ところどころ間違いがあることと思いますが、どうかご容赦ください。

若き天才作曲家
三河を席捲
国際作曲コンクールで二等 古山裕一氏

圧巻の演奏であった。七月廿三
日より三日間、豊橋、岡崎、豊川の
三会場で古山裕一氏とカハヒバンド
による特別演奏会が開催された。
入場券が発売されるや否や瞬く
間に全席完売。古山氏への注目が
窺へる。古山裕一氏は福島県出身
の青年で弱冠廿一歳。商業学校卒
業後、叔父が頭取をつとめる川俣
銀行に就職。音楽学校に通はずし
て、今年二月、ストラヴィンスキー
を始め、今日の音楽界の先頭に立
つ作曲家達が特別審査員をつとめ
るイギリスの国際作曲コンクールで
二位に入賞。クラシックの分野では
日本は他の○国にかなりの遅れを
《とつ》てをり、日本の音楽史の中でも
○○○《快》挙であつた。勉学や仕事
《の傍ら小山田》耕三の本を読み漁り、
《独学で作曲法を身》に付けたといふ。
○○○○○○○○○類稀なる才
《能》○○○○○○○○○○○の新曲
○○○○○○○○○○○○○○氏
○○○○○○○○○○○○○○○
○○○○○○○○○○○○○○○
○○○○○○○○○○○○○○○
○○○○○○○○○○○○○○○
○○○○○○○○○○○○○○○
○○○○○○○○○○○○○○○
○○○○○○○○○○○○○《わづ》
か十五日で三曲を作曲したこと
になる。一体彼の創造の根源は何
であるか。「自分の身の周りで起
きたこと、感じたことがそのまゝ
曲になる。豊橋のさへづりは僕が
豊橋に来て関内音さん(豊橋出
身。古山氏の婚約者で演奏会では
唄を担当。なれそめは後述)の家
で初めて迎へた朝がとても心地よ
くて、できた曲です。いびきは僕の
隣でね眠る父のいびきをそのまゝ
曲にしました」彼の創造意欲は音
さんによつてより掻き立てられた
さうだ。そもく【く:繰り返し記号】古山氏と音さん
の出会ひのきつかけは、古山氏の
受賞記事であつた。新聞でその快
挙を知つた音さんが手紙を送る
と、その手紙が古山氏の目に留ま
り、直ぐ様文通が始まつた。直接
会ふことのないまゝ、互ひの音楽
に対する思ひを語り合ふなかで、
二人は惹かれあつていつたといふ。
「彼女に出会つてから頭の中でメ
ロディが鳴り止まなくなつた。彼
《女は僕》の音楽そのものなんです」
○○○○○○○○○○コンクール
○○○○○○おつとりした古山氏
○○○○○○《アー》チストのようで
○○○○○○○○○○○○○《「晩》
秋の頃」であつた。幼い頃亡く《なつた》
父を想ひ、音さんの妹の梅さ《んが作》
詞を手掛けたといふ。豊橋の《演奏会》
では音さんが喉の不調○○○○○
途中で歌へなくなつて《しまふアクシ
デントもあつたが、古《山氏の》○○○○
より再び、演奏が○○○○○○○○
た歌に会場は感《動》○○○○○○
彼の潜在能力○○○○○○○○○
古山氏が日○○○○○○○○○○
くことの○○○○○○○○○○○
は間違ひ○○○○○○○○○○作
曲家の○○○○○○○○○○○○
とが○○○○○○○○○○○○○
だ○○○○○○○○○○○○○○


第28回でもう少し左側まで映っていたので再チャレンジします。
朝ドラ『エール』第28回から

朝ドラ『エール』第28回から

若き天才作曲家
三河を席捲
国際作曲コンクールで二等 古山裕一氏

圧巻の演奏であった。七月廿三
日より三日間、豊橋、岡崎、豊川の
三会場で古山裕一氏とカハヒバンド
による特別演奏会が開催された。
入場券が発売されるや否や瞬く
間に全席完売。古山氏への注目が
窺へる。古山裕一氏は福島県出身
の青年で弱冠廿一歳。商業学校卒
業後、叔父が頭取をつとめる川俣
銀行に就職。音楽学校に通はずし
て、今年二月、ストラヴィンスキー
を始め、今日の音楽界の先頭に立
つ作曲家達が特別審査員をつとめ
るイギリスの国際作曲コンクールで
二位に入賞。クラシックの分野では
日本は他の○国にかなりの遅れを
《とつ》てをり、日本の音楽史の中でも
○○○《快》挙であつた。勉学や仕事
《の傍ら小山田》耕三の本を読み漁り、
《独学で作曲法を身》に付けたといふ。
○○○○○○○○○類稀なる才
《能》○○○○○○○○○三曲の新曲
○○○○○○○○○○た。古山氏
○○○○○○○○○○○たのは演
○○○○○○○○○○○○○わづ
か十五日で三曲を作曲したこと
になる。一体彼の創造の根源は何
であるか。「自分の身の周りで起
きたこと、感じたことがそのまゝ
曲になる。豊橋のさへづりは僕が
豊橋に来て関内音さん(豊橋出
身。古山氏の婚約者で演奏会では
唄を担当。なれそめは後述)の家
で初めて迎へた朝がとても心地よ
くて、できた曲です。いびきは僕の
隣でね眠る父のいびきをそのまゝ
曲にしました」彼の創造意欲は音
さんによつてより掻き立てられた
さうだ。そもく【く:繰り返し記号】古山氏と音さん
の出会ひのきつかけは、古山氏の
受賞記事であつた。新聞でその快
挙を知つた音さんが手紙を送る
と、その手紙が古山氏の目に留ま
り、直ぐ様文通が始まつた。直接
会ふことのないまゝ、互ひの音楽
に対する思ひを語り合ふなかで、
二人は惹かれあつていつたといふ。
「彼女に出会つてから頭の中でメ
ロディが鳴り止まなくなつた。彼
女は僕の音楽そのものなんです」
一見物静かでおつとりした古山氏
はかなりのロマンチストのやうで
ある。演《奏されたのは》コンクール
で二《位を受賞した「竹取物語」」》と《「晩》
秋の頃」であつた。幼い頃亡く《なつた》
父を想ひ、音さんの妹の梅さ《んが作》
詞を手掛けたといふ。豊橋の《演奏会》
では音さんが喉の不調○○○○○
途中で歌へなくなつて《しまふアクシ
デントもあつたが、古《山氏の》○○○○
より再び、演奏が○○○○○○○○
た歌に会場は感《動》○○○○○○
彼の潜在能力○○○○○○○○○
古山氏が日○○○○○○○○○○
くことの○○○○○○○○○○○
は間違ひ○○○○○○○○○○作
曲家の○○○○○○○○○○○○
とが○○○○○○○○○○○○○
だ○○○○○○○○○○○○○○