シートの思い出

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今日まで3日間、工事の応援に行っておりました。とりあえず今日で一旦おしまいです。
その片付けの際に床に敷いた長い養生シートを同業のサイン業者の方とふたりでたたんだのですが、その時に前代表である父のことを思い出しました。
サイン業者の方が私より年長でいらっしゃったこともあったのでしょう。

10年余りの間父と一緒に仕事をしてきました。
塗装の現場を片付ける時には、長い塗装用のシートを向かい合ってたたむのがいつものことでした。
ふたりが向かい合ってシートをたたむという何気ない作業ですが、実は父は祖父ととても似た作業を子どもの頃にしていたそうです。
祖父は京都で友禅職人をしており、いわゆる「洗い」という工程を堀川(まだ埋め立てられる前です)でするのですが、その際父を伴ってふたりで行っていたということです。
それはシートをふたりでたたむのと本当によく似た作業だったのでしょう。
前日に祖父から「三郎、明日は堀川で洗いや」と申し渡され、冬の日にはつらかったとのこと。
そのことも関連して思い出していました。

何度も何度も父と一緒にシートをたたんだはずですが、なぜかあまり息が合わず、もどかしい思いをすることもありました。
親子なのだからもっとうまくたためるのではないのかと感じていたからなのですが、親子とはいえやはり別の人間なのですからお互い相手の思ったとおりの動きが出来るとは限らないわけです。
でももうそれがないのかと思うと少しさびしい気がします。
ちょっと無理して現場に出てもらおうかなとも考えたりもします。

父の一家は1940年(昭和15年)の奢侈品等製造販売制限規則施行により京友禅でやっていくことが出来なくなったのが確定した為、その年の12月に京都市から大阪の茨木市へ引っ越しをしたのでした。1928年(昭和3年)5月生まれの父は当時小学校の卒業が間近だったので、茨木から京都まで列車で通うことを考え学校に申し出たのですが、あまりにも距離がありすぎるので学校としてはそれは安全面で責任が持てず認められないとなり、やむなく茨木市の小学校に転校し短い間ですがそこに通ったそうです。慣れ親しんだ京都の小学校で卒業の日を迎えたかっただろうと思うと少々可哀そうな気がします。

去年から延び延びになっているのですが、今度こそ暖かくなったら一緒に京都へ行こうと言っています。
やはり生家のあったあたりや子供の頃によく遊んだ御所や二条城のあたりに行ってみたいという希望があるようです。
そのこともまたここに書くことになるのでしょう。