高石勝男年譜―西淀川区(西島)が生んだオリンピック選手―

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地元の図書館(大阪市立西淀川図書館)から借りてきた図書の中に、地元では殆ど知られていないであろう事実を見つけましたので記事にします。

借りてきたのは、大和田郷土史会が発行する『大和田郷土史会報』第15号。
その9ページに、同会の会員である八木茂氏による「高石勝男年譜―西淀川区(西島)が生んだオリンピック選手―」という記事がありました。

『大和田郷土史会報』第15号から引用させていただきます。

この年譜は、平成15年3月8)がに大和田郷土史研究会にて八木茂氏が発表された「西淀川区(西島)生んだオリンピック選手 高石勝男」をもとに作成したものです。
(編集者)

明治39年10月14日 大阪府西成郡川北村西島五番地に高石半四郎の次男として生まれる。(長男義男は大阪製鋼株式会社の設立者)
大正2年4月 西成郡川北小学校入学
大正7年4月 尼崎市立第一小学校転入学
大正8年4月 大阪府立茨木中学校入学 水泳部入部

<以下略>

【『大和田郷土史会報』第15号(平成15年5月より引用)】

高石勝男とはどういう人物なのか。こちらはWikipediaから引用させていただきます。

大阪府出身。大阪府立茨木中学(現在の茨木高校)卒。早稲田高等学院卒。早稲田大学商学部卒業。妻は元200m・400m自由形日本記録保持者永井峰子。
1928年アムステルダムオリンピック男子800m自由形リレー銀メダリスト、同オリンピック100m自由形銅メダリスト。
パリオリンピックでも100m自由形、1500m自由形に出場。
ロサンゼルスオリンピック代表に選ばれたが選考会で敗れ、出場は果たせなかった。
1964年の第18回夏季オリンピック東京大会では水泳日本代表総監督を務めた。また、日本水泳連盟会長などを歴任し、紫綬褒章を受章。
母校早稲田大学の戸山キャンパスには、高石勝男を記念して建設された『高石記念プール』がある。
実業家としては近畿産業社長も務めている。
1966年4月13日、逝去。59歳没。

Wikipedia『高石勝男』「人物」 から引用

昨年NHKの大河ドラマ『いだてん』が放送されていましたが、その中で高石勝男さんは、斉藤工さんがその役をされていて、個人的には印象深い人物として記憶に残っておりました。
過去の栄光と、現在の成績不振とのギャップにもがき苦しんでいる様子が全く他人事とは思えず、最も親近感を覚える登場人物の一人でありました。
その高石勝男さんが地元西島のご出身であると。
上記年譜に依ると、現在の大阪市立川北小学校(地元です!)に入学されているのが分かります。
そして、6年生に進級する際に尼崎第一(尋常)小学校へ転校され、その翌年に茨木中学校(現茨木高校)へ進まれているせいもあってか、西島のご出身であることが地元民には殆ど知られていない状況です。
ネットで検索しても殆ど出て来ませんでした。
オリンピックに出場するだけでもすごいことであるのに、このような素晴らしい業績を残されたアスリートかつ指導者が、出身の地元では全然知られていない。これは少々残念です。

>1964年の第18回夏季オリンピック東京大会では水泳日本代表総監督務めた。
うわぁ。
なんかすごく申し訳ない気持ちです。
地元の方がこの記事を読んで、高石勝男さんについて少しでも興味を持ってくださることを期待しております。