先日、ある映画を動画配信サービスを使って視聴しておりましたら、懐かしい大阪市内の風景が映っているのに気づきましたのでそのことを書きます。
観た映画は、1981(昭和56)年8月8日公開の『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』。マドンナ・浜田ふみ(演:松坂慶子さん)が、大阪市内のある運送会社(山下運輸)にやってきた場面です。寅次郎(演:渥美清さん)に付いてきてもらっています。ふみがここへ来た理由は、幼くして生き別れになった弟がここにいると聞き、もしかすると会えるのかもと考えたからなのでした。
ロケ地は大阪市港区波除6丁目。タクシーが停まっている場所の前にある建物は今も残っているのです。
運転主任(演:大村崑さん)に2階にある事務所へ二人は案内されます。安治川大橋のそばですね。
悲しいことに、ふみは弟が前の月に急病で亡くなっていたことを聞かされるのでした。事務所から外を見るふみの目に映るのは渡し船。
この渡し船は、「三丁目渡し」という名称の公営渡船でした。当時大阪市が運営。料金は無料でした。平成元年1月31日が最後の運行日で、廃止されて既に30年が経過しています。
下の地図の中央あたりに「三丁目渡」として記載されています。安治川大橋の少し東。山下運輸として使われた会社は、「三丁目渡し」の南側にあったというわけです。
ワラジヤ「大阪市および府下全市区分地図帖」48年版「港区」から引用
図書館から借りてきた「『三丁目渡し』をしのぶ」という冊子(此花区郷土史同好会設立準備委員会発行・1989.3.29)に、この「三丁目渡し」が非常に古い渡しであることの記述が見られます。
この安治川には、いつ頃から渡しがあったのだろうか。古地図を調べた限りでは、約200年まえの天明7年(1787)に三丁目渡しが見られる。此花区域の安治川沿にある渡しを江戸時代から現在までの地図によって調べた結果、次の通りである。三丁目がもっとも古く、しかも永く利用されたことがわかる。
此花区郷土史同好会設立準備委員会発行「『三丁目渡し』をしのぶ」から引用
大阪市内には、市が運営する渡船場が現在8か所あります。
私の場合、自宅から最も近い距離にある渡船場であり、他県から来られた何人かの人を案内したこともあったりして、実に印象深い渡船なのでした。
その懐かしい渡船場が思いがけず映画に出てきて実にウレシイわけなのです。
この会社(の事務所)が「男はつらいよ」のロケ地として選ばれる際、「渡船場が見える場所である」という点でポイントが高く、もしかするとそれが決め手になったのではないかなと、あくまで想像ですが思わずにいられません。
「寅さんの『矢切の渡し』好き」はファンの間に限らずよく知られており、そう捉えるのが自然なのではないかと感じます。
ちなみに、対岸からさらに春日出橋を渡った所にあった「松風荘」(春日出中学校のそば。今はもうありません)でもロケが行われていました。撮影の順番は分からないのですが、車で移動するとなるとかなりの距離を走らねばなりませんし、物珍しさも手伝って、出演者やスタッフの方たちの中には、この「三丁目渡し」を利用した人もある程度いらっしゃったのではないかなと思うのです。いや、きっと何人かは利用したはず。