「高所塗装作業」10年前のブログから

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に続いて書いておりました昭和30年代の看板屋の様子です。

「高所塗装作業」

甲子園球場の隣に、阪神パークという小動物園を含む遊園地がありました。阪神間の便利さで大変利用された子供達の遊び場でした。この阪神パークに飛行塔があり、約10機の飛行機が設置されていました。飛行塔の高さは50米。阪神パーク、と1文字が2米角のピット文字(厚みのある切文字)を塗装する仕事を、昭和35年4月頃、独立してしばらくしてから請負いました。
地上30米から上の部分に足場が仮設してあり、その足場迄、殆んど垂直に近い鉄塔のタラップを塗料と刷毛を持って上がります。足場の最下端でビルの7階程の高さがあり、足元に目をやると、人が随分小さく見えました。
足場は「伊達足場」と云って、横方向に組んである丸太(布)は1本。折からの浜風でペンキ缶は前後左右に揺れます。一本伊達足場は、上下の間が九百~千ミリ位で立地を間に、前・後と交互に組んであります。
背中に布(横丸太)がある時には、前の看板を手で握っているので安心感がありますが、腹に丸太が来る時には、後ろは何もないので、その恐さは大変なものでした。
安全第一の考えは、現場の作業者には浸透しませんでした。当時は安全ベルトはなく、ゴンドラのような便利なものもありません。このような高所での作業をする際に、どうしても避ける事が出来ない心理状態が、1時間に1回程のペースでやってきました。高所恐怖です。

前触れが何かあるわけではなく、突然その発作は起こります。ごく普通に仕事をしている時に、何故だか急に恐ろしくなり、この恐怖心から逃げたしてしまいたい、と上から飛び降りたくなる状態を発作と呼ぶらしい。
この発作が起きると、仕事を中止して立地(足場の丸太で垂直方向に組んだもの)にしがみつき、気持ちの静まるのを待たねばなりません。私の場合は2、3分で発作は止み、元の精神状態に戻るのでした。
心に平穏が戻った時点で煙草を一服と吸い出し、吸い終わった時点で吸殻をうっかり下に捨ててしまうと、今まで口にしていた煙草が自分の手元から離れて地上に落下するのを見てしまうことになります。まるで自分が落ちていくかのような錯覚に陥ります。後輩等には、これは何気ない動作ではあるがしないように、とよく注意したものです。
高所恐怖は誰でもが持っているものですが、職業として高い所に上る必要があるなら、恐いから上がれないとは言っておれません。私がこの工事で体得した高所作業の要領は、恐くても、最初に一番高い所まで上がり、そこから仕事を始めることです。そうすると、一段下の足場に降りると、まるで10米も降りた感じがして恐怖感は全然ありません。反対に一番下から仕事を始めると、足場を一段上がるに従って、その恐さは何十倍にも跳ね上がります。

大阪市福島区にKゴムという会社があり、このゴム会社の煙突に取り付けてあるピット文字看板の塗装を友人の看板屋が引き受け、応援で塗りに上がりました。
煙突の高さは地上30米。20米から上の部分に足場が組んでありましたが、このボロ煙突の塗装ほど恐く危険を感じたことはありません。
ペンキと刷毛を持ってタラップで足場近く迄上がると、タラップを煙突に固定する役目のアンカーが腐って外れており、私が乗ると、体重でそのアンカーが外れている方に傾きます。
そういう危険を感じつつやっと足場に辿り着くと、その丸太の何と細い事! 二人が同時に一本の丸太に乗るのは避ける必要があると判断し、能率が悪くなるものの、お互いが相手の動きを充分注意しながら足場移動をすることにしました。体重が約50~60キロの人間が一人乗っただけで、丸太は弓なりにしわり、安心して仕事をすることは出来ませんでした。
この足場を組んだ足場屋は、細い丸太を使用することで有名で、先の阪神パークの足場とは、比べものにならないほど危険な代物でした。これが昭和30年代の労作業の実体です。
煙突は絶えず揺れている。揺れていて正常らしい。気持ち悪い。

(2008年3月18日・21日・22日公開)