ヘンリー・ミラー『北回帰線』

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文庫本に書かれていた名言に関する話です。

以前書いた【ヘンリー・ミラー『南回帰線』】で、引用の元とした寺山修司『ポケットに名言を』(角川文庫)には、同じヘンリー・ミラーの名言としてもうひとつ収録されています。

あらゆるできごとは、もしそれが意味をもつとすれば、それは矛盾をふくんでいるからである。

ヘンリー・ミラー「北回帰線」

この本の中で、ヘンリー・ミラーの名言については彼の代表作である『北回帰線』と『南回帰線』からひとつずつ引用されていて、バランスの良い感じがします。

角川文庫『ポケットに名言を』(寺山修司)表紙

ただ、名言そのものについては、解釈がちょっとやっかいに感じます。

「あらゆるできごとは、もしそれが意味をもつとすれば、それは矛盾をふくんでいるからである。」

を別の表現で言ってみると、「あらゆるできごとにはもともと意味などない。もし意味をもつとすれば、その理由は矛盾をふくんでいるからである」となるのでしょう。

ここで「(できごとが)意味をもつ」と「矛盾をふくんでいるから」の関係に注目してみると、「矛盾をふくんでいるから意味を持つ」とミラーは言っているのだと気づきます。ここに引っかかってしまうのです。

「原文はどうなってるのか」とネット検索してみると、これが多分そうだろうなというのが出てきました。

Everything that happens, when it has significance, is in the nature of a contradiction.

これを「高精度な翻訳ツール」として知られたDeepL翻訳で翻訳してもらうとこうなります。

すべての出来事は、それが意味を持つとき、矛盾の性質を持っています。

簡単な文の構造で、頭にすっと入ってきそうです。「それが意味を持つとき」は単に条件を示していて、逆の「意味を持たないとき」→「矛盾の性質を持たない」で素直に受け入れられます。

なぜ「あらゆるできごとは、もしそれが意味をもつとすれば、それは矛盾をふくんでいるからである。」がややこしく感じられるのか。
理由はおそらく、「それ」が2回使われていて、それぞれ違うものを指し示しているようにも見えるから。先の「それ」は「あらゆるできごと」を指し、後の「それ」は「あらゆるできごと」または「あらゆるできごとは、もしそれが意味をもつとすれば」の条件文全体を指す。
連続して現れる「それ」が、実は違ったものを指しているようにも見えるのでややこしく感じられるのではないかと思ったわけです。私だけなのかも知れませんが。

ところで、ここからが重要なのですが、ネット検索して現れた”Everything that happens, when it has significance, is in the nature of a contradiction.”の文が収録されている書物の名を見て驚きました。全部、Tropic of Capricorn(=『南回帰線』)なのです。
「何かの間違いではないのか」と、Tropic of Cancer(=『北回帰線』)と組み合わせて検索しても、目指す検索結果は全く出て来ません。

「これは寺山修司が間違えたと考える他にない」となり、念の為に以前借りたのと同じ『南回帰線』(大久保康雄訳・河出書房新社)をまた図書館で借りて調べてみると、本文のほぼ冒頭にありました、「あらゆるできごとは、もしそれが意味をもつとすれば、それは矛盾をふくんでいるからである。」が。かな遣いや句読点の打ち方まで全く同じ。

また、ネット上にあるヘンリー・ミラーのこの名言を紹介したものは、全て出典を『北回帰線』としてあり、『南回帰線』として収録された名言と同様、『ポケットに名言を』を大元とする孫引きなのだろうと考えるのです。

『ポケットに名言を』は、高校生の時から愛読してきた本なので(今持っているのは2冊目か3冊目)、少々ショックを受けた次第ですが、「必ずしも引用は正しくないぞ」という目で見てみると、怪しいのは他にもいくつかあったりして、それはそれで楽しめたりします(笑)。

最後に『ポケットに名言を』から引用した文の訂正をしておきます。

あらゆるできごとは、もしそれが意味をもつとすれば、それは矛盾をふくんでいるからである。

ヘンリー・ミラー「北回帰線」「南回帰線」