「フィリーネ」という詩(『ゲーテ格言集』から)

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本に収録された名言に関する短い記事です。

新潮文庫『ゲーテ格言集』(高橋健二 編訳)にこういう文があります。

女が男のこの上なく美しい
半身として与えられもしたように、
夜はこの世のなかば、それも
この上なく美しいなかばなのに。(「フィリーネ」という詩、一七九五年作、から)

新潮文庫『ゲーテ格言集』(高橋健二 編訳)愛と女性について から引用

ゲーテの格言集に入っているくらいなのできっとありがたい名言なのだろうとは思うものの、意味がよく分からず(全然かも)、「いったい何が言いたいのだろう」という状態でした。

ドイツ語はほとんど理解出来ないものの、昔と違って現在では翻訳ツールが発達しているので、永年の疑問を晴らすべくまず原文にあたってみることにしました。
“Philine”+“Goethe”で検索してみると、簡単にドイツ語の原文が出て来ます。“Philine”の全文を引用します。

Philine

Singet nicht in Trauertönen
Von der Einsamkeit der Nacht!
Nein, sie ist, o holde Schönen,
Zur Geselligkeit gemacht.

Wie das Weib dem Mann gegeben
Als die schönste Hälfte war,
Ist die Nacht das halbe Leben,
Und die schönste Hälfte zwar.

Könnt ihr euch des Tages freuen,
Der nur Freuden unterbricht?
Er ist gut, sich zu zerstreuen;
Zu was anderm taugt er nicht.

Aber wenn in nächt’ger Stunde
Süßer Lampe Dämmrung fließt,
Und vom Mund zum nahen Munde
Scherz und Liebe sich ergießt;

Wenn der rasche lose Knabe,
Der sonst wild und feurig eilt,
Oft bei einer kleinen Gabe
Unter leichten Spielen weilt;

Wenn die Nachtigall Verliebten
Liebevoll ein Liedchen singt,
Das Gefangnen und Betrübten
Nur wie Ach und Wehe klingt:

Mit wie leichtem Herzensregen
Horchet ihr der Glocke nicht,
Die mit zwölf bedächt’gen Schlägen
Ruh’ und Sicherheit verspricht!

Darum an dem langen Tage
Merke dir es, liebe Brust:
Jeder Tag hat seine Plage,
Und die Nacht hat ihre Lust.

(↑)『ゲーテ格言集』で引用されているのは2連目(文字を青くしました)の4行。

Googleで翻訳してもらうと以下のようになりました。

女が男に与えたように
最も公平な半分があったとき
夜は人生の半分
そして最も美しい半分。

再度『ゲーテ格言集』から引用します。

女が男のこの上なく美しい
半身として与えられもしたように、
夜はこの世のなかば、それも
この上なく美しいなかばなのに。

そもそもどういうところから「分からない」のかが分からなかったのですが、「なかば」が時の流れの中にある一点(時点)を表しているように思い込んでいて、それで分からなかったのだと気づきました。ここでは「なかば」は(人生の)「半分」という意味で使われているのでした。

そして、前の2行は比較する為に書かれているのでどちらかと言うと重要ではなく、後ろ2行こそが作者の伝えたいことなのだと捉えるべきなのでしょう。

念の為、原文を英語に訳してもらった文です(こちらはDeepL)。

How the woman gave to the man
When the most beautiful half was,
The night is half of life,
And the most beautiful half indeed.

つまり「夜は人生の半分/そして最も美しい半分」だと言いたいのだと思うのですが、そうなると「なぜこれが名言なのか」が分からないのです。「夜は人生の最も美しい半分」は確かにそうであるとは思うのものの、「そんなにいいのかなあ」というのが率直な感想。意味がないなどとは言いませんが。

ちなみに、フーゴ・ヴォルフ(Hugo Wolf)やシューマン(Robert Alexander  Schumann)の作品にこの“Philine”に曲をつけたものがあり(Philine “Singet nicht in Trauertönen” 邦題:『悲しげに歌わずに』)、YouTubeにはそれらの動画がたくさんあります。

ただ、シューマン作曲の方は、この第2連だけが省かれていて「どうしたんだ?」と少々驚くことに。理由は不明です。


追記します。
潮出版社のゲーテ全集1に「フィリーネ」が入っていました。飛鷹ひだかまこと氏による訳です。少々長くなるのですが、全文を引用させていただきます(第2連を青い字にしています)。

 フィリーネ

夜の孤独の寂しさを
悲しく歌ってはなりませぬ
優しく美しいかたがたよ 夜こそは
語らいのためのものですから

女が男に授けられた
もっとも美しい半身であったように
夜こそはこの人生の半身
それもいちばん美しい半身です

たのしみのためには水をさすばかりの昼が
どうして喜べましょう?
昼は気散じのためにはよくとも
ほかの何に役立つというのでしょう

しかし夜のとばりがこめ
たのしいランプの仄明りが流れて
唇から唇へと
愛の戯れが注がれるとき

そして昼は激しく燃えて駆けてゆく
すばやい恋の童神かみアーモルも
ときにささやかな贈り物にすかされて
ふとしたれごとにかまけるとき

あるいはまた小夜啼鳥さよなきどり
とらわれびとや悲しみに沈む人びとには
歎きの声としか聞こえぬ歌を
恋する者のためにやさしく歌って聞かせるとき

そんなとき皆さんはそっと胸をときめかせ
ゆっくりと十二の時を打って
安らかな憩いを約束する鐘の音に
じいっと耳を傾けないでしょうか!

ですからながい昼には
このことを心に留めておくことです――
昼には昼のわずらいがあっても
夜には夜の悦楽たのしみのあることを

やはり「夜は美しく楽しい」ですね。異論はありません。

そしてこの「フィリーネ」は、『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』第5巻第10章に入っているのを確認しました。「フィリーネ」という名の女性が歌う曲で、「とても可憐で楽しい曲調の小唄を歌いはじめた(翻訳:DeepL)」という文章が直前にあるのでした。

(2022年12月4日追記)


岩波文庫の『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(山崎章甫氏訳)を入手しました。中巻に「フィリーネ」の詩があります。第2連を引用。

かつて、女が男にとって、
美しい半身であったように、
夜は、この世の半身なの、
いちばん美しい半身なのよ。

岩波文庫『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(中・山崎章甫訳)から引用

「フィリーネ」は、全体で夜の素晴らしさを謳う詩であり、その最も重要な箇所がこの第2連であると考えたので、高橋健二氏は『ゲーテ格言集』に切り取って引用したのかなと想像しました。

また、せっかくの大切な箇所なのにシューマン作曲の”Singet nicht in Trauertönen”では削られてしまっている、というのも、「やはりこのパートを選ぼう」に繋がったのではないかと。日本人の好きな「判官びいき」みたいな。あくまで門外漢の想像ですが。

(2023年4月22日追記)