「まず踊れ 考えるのは それからだ」(サミュエル・ベケット/NHKドラマ『グレースの履歴』)

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ドラマで引用された名言に関する短い記事です。

NHKドラマ『グレースの履歴』(全8回・2023年3月19日~5月7日放送)で、羽田純哉(林遣都さん)が希久夫(滝藤賢一さん)に対して言ったセリフです。読んでいる名言集にある言葉だとか(『グレースの履歴』第6回)。
NHKドラマ『グレースの履歴』第6回から
NHKドラマ『グレースの履歴』第6回から

純哉「まず踊れ 考えるのは それからだ」
希久夫「何それ?」
純哉「サミュエル・ベケットが書いた戯曲の中のセリフです」

純哉が取り出したのは「珠玉の名言集」という文庫本です。
NHKドラマ『グレースの履歴』第6回から
サミュエル・ベケットはアイルランド出身の作家なので、まず英語で原文を探してみました。

検索して出て来たのはこの文章(↓)。『ゴドーを待ちながら』の一節だとされています。

Dance first. Think later. It’s the natural order.

簡単な英文なのですが、念の為にDeepLで訳してもらいます。

まず踊れ。考えるのは後。それが自然の摂理なのです。

『ゴドーを待ちながら』は、もともとベケットの第二外国語であるフランス語で書かれているのだと知りました。
「まず踊れ 考えるのは それからだ」の個所が入っている原文。

ESTRAGON. – J’aimerais mieux qu’il danse, ce serait
plus gai.
POZZO. – Pas forcément.
ESTRAGON. – N’est-ce pas, Didi, que ce serait plus gai?
VLADIMIR. – J’aimerais bien l’entendre penser.
ESTRAGON. – Il pourrait peut-être danser d’abord et
penser ensuite? Si ce n’est pas trop lui demander.
VLADIMIR (à Pozzo). – Est-ce possible?
POZZO. – Mais certainement, rien de plus facile. C’est
d’ailleurs l’ordre naturel. (Rire bref.)

“En Attendant Godot”

DeepLによる日本語訳。「まず踊れ 考えるのは それからだ」に該当するであろう個所を青くしました。

ESTRAGONです。- むしろ踊ってくれた方がいい。
もっと明るくなる。
POZZO. – そうとも限らない。
ESTRAGON. – その方が明るいでしょう、ディディ?
ヴラディミール. – 彼がそう思うのを聞いてみたいものです。
エストラゴン. – おそらく彼は最初に踊って
それから考える?無理なお願いでなければ。
ヴラディミール(ポッツォに)。- 可能か?
ポッツォ. – しかし、確かに、これ以上簡単なことはないでしょう。それは
自然の摂理です。(短い笑い。)

「まず踊れ」という、命令文ではないのに引っかかりました。
「まず踊れ 考えるのは それからだ」は、エストラゴンのセリフで疑問文の中に入っています。つまり『ゴドーを待ちながら』の中で、ベケットは「まず踊れ 考えるのは それからだ」という命令文を書いていないのではないかと。

ベケット自身による英文はこうです。

ESTRAGON: I’d rather he’d dance, it’d be more fun?
POZZO: Not necessarily.
EXTRAGON: Wouldn’t it, Didi, be more fun?
VLADIMIR: I’d like well to hear him think.
ESTRAGON: Perhaps he could dance first and think afterwards, if it isn’t too much to ask him.
VLADIMIR [to Pozzo]: Would that be possible?
POZZO: By all means, nothing simpler. It’s the natural order. [He laughs briefly.]

“Waiting for Godot”

広く知られている“Dance first. Think later. It’s the natural order.”の、日本語訳である「考えるのは それからだ」にあたる“Think later”は、英語の原文では“think afterwards”となっています。
また、“Think later.”に続く“It’s the natural order.”が、原文では離れた位置(上の引用では最後)にあり、しかも話者は別々の2人(エストラゴンとポッツォ)になっているので、これはきっと誰かがベケットの言葉だとして(英語の)「命令文」を作ったのだなと考えます。

「まず踊れ 考えるのは それからだ」という命令文を含んだ一節は、ベケットの『ゴドーを待ちながら』の原文にはありません。それでもないのを知った上で「これイイ!」と感じるのはオッケーです。私はイイなと思っています。