「おお、ジュピターよ」(ゲーテ)

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ゲーテの名言についての話です。

新潮文庫『ゲーテ格言集』(高橋健二訳) にこういう文章があります。

「なぜ、私は移ろいやすいのですか。おお、ジュピターよ」と、美が尋ねた。
「移ろい易いものだけを美しくしたのだ」と、神は答えた。(『四季』夏の部から)

―新潮文庫『ゲーテ格言集』神、信仰、運命について から

人格を持たないはずの「美」が、神に対して自らに備わった性質の理由を問い、神がそれに答えるという興味深い内容。結構好きです。

ドイツ語の原文が知りたくなって探し出したのですが、少し手間取りました。
見つかった原文はこれです(↓)。

“Warum bin ich vergänglich, o Zeus?” so fragte die Schönheit. “Macht’ ich doch”, sagte der Gott, “nur das Vergängliche schön.”

「おお、ジュピターよ」なのでてっきり「Jupiter」だと思い込み、これをキーワードにして検索していたのでした。でも原文は「Jupiter」ではなく「Zeus」。ズッコケました(オッサンの表現ですみません)。

ジュピター(ユピテル)がローマ神話の最高神で、ギリシア神話ではゼウスである、というのはなんとなく知っていましたが、ハッキリと「ジュピターよ」と訳されているので、まさか「Zeus」だとは思ってもみませんでした。

同一の神とされているのは知っているものの、言葉から受ける印象としては少々異なります。私の場合、ジュピターはどちらかと言うと中性的なイメージで、ゼウスは力強い男性を思い浮かべてしまうのです。

また、『ゲーテ格言集』に収録されたこの文にある「美」は女性で、ここでの神(ジュピター)は男性という感じがしています。あくまで個人の感想ですが。

そして、「移ろい易い」は、原文では“vergänglich”。日本語の「移ろいやすい」にはそれほど寂しいイメージがなく、“vergänglich”をかなり正確に訳したのではないのかと想像します(ドイツ語は初心者ですらないのですが)。

ちなみに、新潮文庫の『ゲーテ詩集』に収録されているのは「ジュピタア」でした。「なぜ」が「何ゆえ」と古い言葉遣いで、表記も同様です。こちらの方が古い出版(昭和26年。『格言集』は昭和27年)だからなのでしょうか。

「何ゆえ、私は移ろいやすいのです?
おお、ジュピタアよ」と、美がたずねた。
「移ろいやすいものだけを
美しくしたのだ」と、神は答えた。

Warum bin ich vergänglich……

―新潮文庫『ゲーテ詩集』イタリア旅行以後 から

『ゲーテ詩集』には“Warum bin ich vergänglich……”と原文が併記されているので、最初からこれで検索すればよかったのでした。

そして、『ゲーテ格言集』『ゲーテ詩集』の訳について、どちらが好みかというと、私の場合は『格言集』の方です。
「何ゆえ」や「ジュピタア」は、なんか重過ぎると感じるのです。