大衆喫茶「玉一」尼崎支店のメニュー看板

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廃業した喫茶店のメニュー看板の話です。

昨日加筆して更新した「淀川区十三近辺にかつてあった喫茶店」の「玉一」という喫茶店。
この「玉一」という喫茶店は、かつて大阪でたくさんのお店を展開させていたチェーン店で、今も数店が営業しています。

Wikipedia「アジアコーヒ」のページに「喫茶玉一」に関する記述があるので引用します。

概要
第二次世界大戦後、現在で言うところのフランチャイズチェーン店として大阪市や神戸市に多く存在しており、最盛期には約40店舗に達していた。大阪ではヤマト珈琲店、喫茶玉一と並んでコーヒーの三大チェーンと呼ばれていたが、現在はアジアコーヒの本元は解散している。

Wikipedia『アジアコーヒ』から引用

けっこう大きな喫茶チェーンだったようです。

10年前に書いた別ブログに、偶然この「玉一」尼崎支店(阪神出屋敷駅近く)の店先に掲げられたメニュー看板の写真を掲載しておりました。
引用します。

トースパン

喫茶店の入口に掲げられたメニューです。
「MENU
コーヒ 200
ミルクコーヒ 200
紅茶 200
ミルク 200
カルピス 200
アイスクリーム 200
トースパン 80
クリームコーヒ 300
ミルクセーキ 250
クリームソーダ 250
ミックスジュース 250
ぜんざい 300
みつ豆 2?0
ケーキ 」
と書いてあります。
この中のトースパンという言葉は、現在ほとんど使われなくなりました。トーストのことですね。

「日本語で書いている」『トースパン』から引用

廃業されてから久しいのですが、この写真を撮影したのは2004年頃で、その時にはまだ営業されていたはずです。
“喫茶 玉一”で画像検索するとこの「大衆喫茶『玉一』尼崎支店」の店舗画像がいっぱい出てきます。
しかしながらこのメニューの写真はないようなのであらためて掲載しておきます。
お店を経営なさっていた方の許可を得ずにおり大変恐縮です。

現在でも「玉一総本店」が大阪市福島区で営業されている他、大阪市内に「玉一」の名称で数店舗あるようです。
「玉一(総本店)」に関する記述を見つけたので引用します。

福島 聖天通り商店街の純喫茶、「玉一(タマイチ)総本店」。

総本店の名の通り以前はチェーン店で、全盛時は80店を数えたらしい。今は新世界、桃谷、築港、そして福島の総本店を残すのみ。

「Rettyグルメ」『玉一総本店』から引用

なんと80店もあったとは驚きです。
こうなってくるとかつての「玉一」をコンプリートしたくなってきました。
それも楽しいことでしょう。どなたかお声掛け下されば喜んで協力いたします。

ところで「大衆喫茶『玉一』尼崎支店」の写真がどうしてウェブ上にこんなにたくさんあるのか。
それは多分、とても絵になるからでしょう。
誰もが撮りたくなる被写体。
撮れば見せたくなる。
そんな強力な何かがこの(元)喫茶店舗にはあるのでしょう。
ノスタルジー? そうかも知れません。
タイムスリップしたかのような風景がそこにはあります。
書いていて、また見に行きたくなりました。

ちなみに、今はほとんど知られていない大阪の喫茶チェーン店に「クラウングループ」という名称のものがありました。
かつては10数店舗あったことを確認しています。現在も2、3店舗あるようです。
興味のある方はご覧ください。

看板とは直接関係のない話です。 大衆喫茶「玉一」尼崎支店のメニュー看板という記事で、喫茶チェーン「喫茶玉一」のことを書きました。 大阪には...

今日仕事で尼崎市に行ったついでに旧「大衆喫茶『玉一』尼崎支店」の写真を撮ってきたのでアップロードします。
大衆喫茶『玉一』尼崎支店(2018年10月16日撮影)
(2018年10月16日 追記)


追記です。
「ホワイト」という1926年に誕生した大衆喫茶チェーンを紹介する神戸新聞の記事を見つけました。

ホワイトは、愛媛出身の浦春友さんが創業し、市内に最大36店舗を展開した。

薫る街 思い出溢れて…1926年誕生喫茶チェーン「ホワイト」 から引用

「(神戸)市内に最大36店舗を展開した」というのは実に驚きです。

そして、そのページに写っていた写真(店舗は荒田ホワイト)にあるメニュー看板を見てビックリです。「MENU」の文字と構成が、『玉一』尼崎支店の「MENU」看板と激似なのです。

「もしかすると同じ看板職人が作ったのかも」と想像すると実に楽しいです。
「トースパンがないかな?」とチェックしてみたところ、こちらは「トースパン」ではなく「トース」になっているようでした。

(2022年10月16日追記)